ACT (アクセプタンス & コミットメント・セラピー) の考え方とは ~「わたしの中にいていいよ、そして一緒に行こう」のスタンス~

くれたけ心理相談室 広島支部の林 和(はやし やまと)です。

ここでは、うつ病、強迫性障害、不安障害、摂食障害、依存症など、様々な心理的問題への対処にとどまらず、ストレスや身体の病気など心身の健康問題への対処においてや、禁煙や体重管理、運動におけるパフォーマンス向上などの個人的な目標を目指す場合にまで有効性が認められている『ACT(アクセプタンス&コミットメント・セラピー)』について、他の多くのセラピーモデルとどう異なるのか、その根本的な考え方や目指すところについて解説させていただきます。

ACT と機能的文脈主義

まず、ACT がよって立つところは「機能的文脈主義」の考え方です。
これは、たとえあるものごとが「本来的に求められる役割」という文脈においては十分に機能しない状況に陥ってしまったとしても、別の文脈の中ではまた異なった機能を十分に発揮することができる、とする考え方です。そうだとすれば、全てのものごとにおいて本質的に機能不全(人の心においては病的な思考や感情など)は存在しないとも考えられるわけです。

分かりやすい例をあげるなら、近代以前、たとえば江戸時代における庶民の暮らしの中などには、無自覚ながらも機能的文脈主義が溢れていたように思えますね。その一つとして着物を例にとると、着古して生地自体が薄くなったり柔らかくなったりして外では着づらくなれば寝間着にし、さらに使い込んで寝間着としても機能しなくなれば赤ちゃんのオシメになり、その後は雑巾として使われてボロボロになりますが、それを乾かすと火起こしや燃料として使えますし、さらに灰の状態になっても肥料や染料として有効・・・といった具合です。

そういった考え方をしっかりした土台とし、その上に応用行動分析、そして関係フレーム理論の考え方を丁寧に積み重ねて成り立っているものが ACT になります。

一方で、かつての多くの心理学の理論は基本的に、「要素的実在主義」に基づいた考え方をしています。いわゆる機械論的な考え方ですね。人の身体のみならず心もまた、いわば機械のように多くの部品(要素)からできていて、何らかの症状が現れたりなど不適応を起こしている時にはその要素のどれかが機能不全に陥っていることが原因なので、そこを修復したり交換したりすることで全体を正常に働く状態に戻そう、というような考え方です。人の心という、直接的に見たり触れたりすることのできない不可解なものを少しでも分かりやすく把握するためには、そういった捉え方をするのが効率的で自然な流れだったのかもしれませんね。(科学的に捉えようとすればするほど、機械論的にならざるを得ない側面が大きいのかもしれません)

ですので、そういった心理学をベースとするこれまでのセラピーモデルの大半も、クライアントの人生をより良くするには症状の緩和に重点をおくこと、つまり症状を引き起こしている機能不全部分(認知の歪みなど)を修正、改善することが必要であるとの想定から形作られていっています。

そして、比較するように書いてはいますが、ACT も含めてこれらの哲学、理論やセラピーモデルには、どれが良い・悪い、どれが正しくてどれが間違っている、などということはありません。どんな理論やモデルも、すべての人に完全に適用できるものなどありませんから。大事なのは、それがその人にとって有効かどうかです。ACT を用いることが、ある人にとって本当に豊かで有意義な生活を送る助けになるのであればもちろん喜ばしいことですし、もしも他のモデルのほうがより助けになるのならそちらを用いるべきです。これは ACT モデル全体の基盤の一つとなる「有効性(workability)」という考え方に通じるものであり、ACT におけるあらゆる介入の中核的で大切な概念でもあります。

人生というバスをどう運転するか

ところで現代社会はというと、科学の発展にも伴って、機械論的な考え方というのが世間一般にいささか浸透し過ぎてしまい、無自覚にそれに則した認知や捉え方をしてしまうことが極めて多くなっているようにも思います。
「わたしはなんてダメな人間なんだ」なぜなら「短所しかないから」「どうしても自信が持てないから」「自己肯定感が低いから」「ネガティブ思考だから」「いつも不安でたまらないから」「辛いトラウマがあるから」・・・といったように。
これらの思考や感情を症状と捉えてしまうと、それらは欠陥で有害で異常だから取り除かないと正常な本来の機能には戻れない、ということになってしまいます。もちろん、それらがあらゆる場合に速やかに取り除いたり修正したりできるものならあまり問題はないのですが、なかなか思うように取り除けないといつまでも取り除くことばかりにエネルギーを費やし、それが終わるまでは他のことにはエネルギーを振り向けられない状態が続くかもしれません。ですから ACT では、そういった思考や感情を症状とは捉えず、その緩和を目的とはしないんですね。
では、何を目的とするかというと、

『クライアントと、一般に症状と呼ぶようなそれらの思考や感情との関係を根本的に変えること』であり、
『それにより、それらの思考や感情にクライアントの価値付けられた生き方の邪魔をさせない』

ということになります。
実際に ACT のセラピーを進めていくと症状の緩和もほぼ間違いなく起こってはいくのですが、それは重要なセラピーの成果ではなく、あくまでボーナスとみなします。

これを端的に言い表した、ACT でよく用いられるメタファー(比喩)をご紹介しますと、
《私たちは、人生というバスの運転手であり、バスの主導権をにぎるのは、もちろん運転手である私たち一人一人です。そして、バスには常に、「思考・感情・記憶など様々な自身の内的体験」という名の“乗客”がたくさん乗っています。“乗客”の中には不快なものや、何かとうるさく言ってくるものも多くいます。それに対して、運転手は次のどちらかの手立てを取ることができます。1つは、“乗客”と口論を始め、何とか彼らをバスから降ろそうと試みる方法です。この場合、“乗客”と対峙している間はバスは完全に停止してしまうことになります。
もう1つは、不快な“乗客”がいることには変わりはありませんが、彼らにもちゃんと席を与えた上過度に注意はせず、自分はそのまま運転に集中して旅を楽しむという方法です。あなたはどちらの手立てを取りたいですか。》ということになります。

「アクセプタンス」と「コミットメント」

そういった目的に沿って具体的な手法を考えていくときに、非常に相性がよかったのがマインドフルネスです。ACT の「A」は「Acceptance(アクセプタンス)」=「受容」ですね。

「アクセプタンス(受容)」とは・・・

自分の思考と感情を、あるがままの状態にしておくこと。その思考・感情が喜ばしいものでもつらいものでも、心を開いて、それを受け入れる場所を作ること。思考に抗うのをやめ、それが自然と湧き起こったり消えたりするのに任せること。 《ラス・ハリス(ACT の世界的に著名な実践家)》

と定義されていますから、マインドフルネスの考え方を大いに取り入れていることがお分かりいただけると思います。

そして、そうやって本当の意味で「受容」することができれば、次の段階として、自分のこれからの人生をよりよくするための行動を自分で考え、自分と約束し責任をもって行動することにつなげていくことができるようになります。これがACTの「C」にあたる「Commitment(コミットメント)」ということになりますね。

より具体的には、ACT が掲げる

『6 つの基本行動原則』
①脱フュージョン  ②拡張  ③接続(つながる)  ④観察する自己
⑤価値の確認  ⑥目標に向かっての行動

に対応したスキルを身に付けていくことで、困難な状況を乗り越える能力である『心理的柔軟性』を高め、先に述べた目的(=避けられない痛みは受け入れながら、有意義で豊かな人生を切り拓くこと)の達成を目指します。その際に、メタファー(比喩)を有効に活用することで、自然にクライアントの想像力を喚起し、よりリアルな実感を伴ってクライアントを導きやすくしたり、何より『ACT』というくらいに行動することを重視する点が、他と一線を画すところだといえます。

セラピーの、より具体的な流れや中身については、また機会がありましたら解説させていただきたいところではありますが、特に今回は、カウンセリングや相談に臨む上での基本的なスタンスとして非常に参考になり得る ACT の基盤となる考え方の部分について解説をさせていただきました。
お目通しいただきました方それぞれに、何か新たな気付きを得ていただけましたら幸いです。



参考文献:『よくわかる ACT』 ラス・ハリス著
心理カウンセラー 林 大和

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